岩槻時の鐘を作ったお殿様、始まりは鳩ヶ谷藩
岩槻 時の鐘のお殿様は、阿部家。
江戸初期に鳩ヶ谷に領地を得て一万石超え大名に。鳩ヶ谷藩を立藩。
その後大多喜、小田原、岩槻、宮津、宇都宮、福山と転封して明治維新。
幕末動乱時に老中筆頭を阿部正弘が勤めました。
安政の改革を断行。大河ドラマに必ず登場します。
阿部正勝は幼児から徳川家康に仕え忠勤に励み戦功を顕わし鳩ヶ谷の地、5000石を宛がわれその後一万石超え大名に。鳩ヶ谷藩を立藩。
のちに正勝の子、阿部正次が「岩槻城主」に封ぜられた。(封ぜられる・・・出世・高位につく)
岩槻藩第2代藩主阿部重次の次男として生まれた「阿部正春」が岩槻の時の鐘を鋳造させたと記述がある。
岩槻 時の鐘
市指定文化財「時の鐘」は、江戸時代中期の享保5年(1720)に鋳造された銅鐘です。もとは、その49年前の寛文11年(1671)に当時の岩槻城主阿部正春が鋳造させたものでしたが、ひびにより鐘の音に不具合が生じたため、改鋳されました。それが、現在の鐘です。そしてこの鐘は、江戸時代以来の場所で、江戸時代に建てられた鐘楼にかけられ、今なお一日に3回、鐘がつかれ、その音色が時を告げています。
造られた経緯や経過が明らかな江戸時代中期の銅鐘の優れた作品としてはもちろんのこと、時の鐘にかかわるさまざまな要素が一体として保存されていることは、文化財としての価値を高めています。さらに、今でもその音色が時を告げていることは、とても意義あることです。
[さいたま市ホームページより引用]
https://www.city.saitama.jp/004/005/006/013/002/tokinokanetosonoshuuhen.html